01
挑戦を阻む壁をなくす
起業、創作、地域活動。世田谷で新しい一歩を踏み出す人を後押しします。
日本を、愛する。
日本人のための多文化共生
日本のことが大好きだから、黙っていられない。多文化共生子育て支援地域の安全を中心に、世田谷の暮らしと安心を守るため、現場の課題を一つずつ解決していきます。

01
起業、創作、地域活動。世田谷で新しい一歩を踏み出す人を後押しします。
02
世代や性別、国籍や立場の違いを超えて、誰もが自分らしく暮らせる世田谷を目指します。
03
働く女性、子育てを担う女性、声を上げにくい立場の人の声を政治と行政につなげます。
04
ひとり親家庭、貧困、孤立、生きづらさに直面する人に寄り添い、具体的な支援につなげます。

ババホジャエヴァ オルズグル世田谷区議会議員(無所属)
ウズベキスタン生まれ。13歳で日本語のひらがなに魅了され、その後、現地の大学で日本語を専攻。2007年に来日し、日本国籍を取得しました。
日本で暮らし、働き、学び、さまざまな立場を経験してきたからこそ、制度の隙間や、声が届きにくい人の存在を身近に感じてきました。
いまは世田谷区議会議員として、多文化共生、子育て支援、地域の安全、地域経済、文化芸術など、暮らしに直結する課題に向き合っています。

中央アジアにある国、ウズベキスタンの首都タシケントで生まれました。13歳のときに日本語の「ひらがな」に一目ぼれして、14歳でタシケント国立東洋学大学に入学し、日本について勉強しました。母子家庭に生まれ育ち、学費を稼ぐため、母を支えるため16歳から学生でありながらも仕事を始めました。

日本語弁論大会にチャレンジした時の写真です。トップの学生の賞は日本への短期留学でしたが、残念ながら惜しくも敗退。この時は悔しくてたまりませんでしたが、その後本当に日本へ来ることになります。

母と14歳の年が離れた妹とのスリーショット。私は学生でしたが、昼に学校で勉強をしながら、夜勤でホテルのカウンターで受付業務をしたり、同時に日本語の翻訳・通訳をしていました。その後始めたガイドの仕事も順調にいくようになり、家計を支えました。

日本の旅行客の方をウズベキスタンでお迎えして、有名観光地をご案内する仕事。ウズベキスタンという国ではガイド資格のレベルが細かく分かれていて、私はウズベキスタン全土を案内できる最高峰のガイドとして活動していました。

家庭を支える立場として、日々の暮らしの中で家計や食、子育てに向き合ってきました。生活者としての実感があるからこそ、政治の言葉を現場の暮らしにつなげる視点を大切にしています。

21歳で日本に来て最初に苦労したことは就職活動です。来日後まずは仕事を探しますが、経歴上は「新卒」と同等であるにもかかわらず、「日本の大学をでていないから」などの理由で幾度も門前払いを受けました。54社目で入社し、その後日本でワインの輸入会社を起業します。

日本ではどうしてチャレンジがしにくいのか、挑戦する人を支える制度がなぜ整っていないのか。女性、外国人、今有利ではない立場にあるすべての人々が等しく多様に輝く世界をつくりたいと思い、世田谷から日本を変えていきたいと考えています。
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